「みんなが従っているルール」が合理的とは限らない理由
あるルールが長く続いていると、
それは自然と「合理的だから存在している」と思われがちです。
しかし、
従われていることと、合理的であることは同義ではありません。
ルールの多くは、特定の時代や状況で生まれています。
当時は確かに必要で、意味のある決まりだったとしても、
環境が変われば前提条件も変わります。
それでもルールは、
「一度決まったもの」として残り続けます。
なぜなら、変えるためには説明が必要で、
合意形成が必要で、場合によっては責任も伴うからです。
その結果、
「理由はよく分からないが、そうなっている」
というルールが増えていきます。
こうしたルールが厄介なのは、
個々人が合理性を疑うきっかけを持ちにくい点にあります。
みんなが従っている以上、
疑問を持つ側が「空気を読めていない人」になりやすいからです。
しかし、合理性は多数決で決まるものではありません。
ルールが存在し続けている理由と、
そのルールが現在も機能しているかどうかは、別の問題です。
ルールを疑うことは、反抗ではありません。
それは単に、
「いまの状況に合っているか」を確認する行為です。
合理性は、守られているかどうかではなく、
現実とのズレがどれだけ小さいかで判断されるものなのかもしれません。