全体最適という言葉は、組織やプロジェクトの理想として語られます。部分ではなく全体を見て判断することが重要だと理解されていても、実際には次第に語られなくなることがあります。
全体最適が語られなくなる最初の段階では、部分ごとの成果が強調されます。評価や目標が細分化され、それぞれの達成度が注目されるようになります。この段階では、全体最適は前提として暗黙に扱われています。
次に、部分同士の調整が増えます。各部分が自分の目標を達成しようとするほど、他との調整が必要になります。その結果、全体を語るよりも、調整の話題が中心になります。
さらに、全体を語ること自体が抽象的だと捉えられるようになります。具体的な数字や担当がない議論は避けられ、部分の最適化が現実的だと扱われます。その結果、全体最適は実務の外に追いやられます。
このプロセスが進むと、全体の方向性は「誰かが考えているはず」という前提になります。しかし実際には、その役割は明確でなく、全体を見る視点は失われます。
全体最適が語られなくなるのは、意識が低いからではありません。構造として、全体を語る余地が失われていることが原因です。全体最適を取り戻すには、部分の成果と全体の関係を言語化できる場や役割が必要になります。